「 」

私は「条件」に従うことによってしか「運動」の原理を(原理の永遠を)知ることができない  それは例外なく  「思うこと」の無意味を隠蔽せずにはおかない  だが  いったい「無意味」が露呈する私の作為に反駁する「生命」があるのだろうか  その断続的な疑いに絶望の議論を立てるのはむろんのこと  「固有」と看做される生命が運動に(言語に)関与した痕跡さえもがことごとく侮辱だと言うべきであろう 
稲川方人『聖―歌章』より)