・・・石に語らせるまでには、それなりの時熟が必要となる。その証拠に、当初、杖は石の表面を上滑りするだけで、それを生へと覚醒させることができない、つまり詩人の言葉はまだ沈黙を貫き通すまでに熟していないため、虚しく沈黙に面壁するのみである。しかしやがて稀なる時間の到来によって、突如として石の壁が破られる。・・・沈黙は沈黙として熟することによって言葉となる。・・・読者は理解だけでなく、自らも身体的にそれに見合う犠牲、受苦を経験していなければならない。(森治「ツェラーン」より )