メモ(『エチカ』第四部より)

第四部 人間の隷属或は感情の力について



序言

感情を統御し・抑制する上の人間の無能力を私は隷属と呼ぶ。何故なら、感情に支配される人間は自己の権利の下にはなくて運命の権利の下にあり、自らより善きものを見ながらより悪しきものに従うように度々強制されるほど運命の力に左右されるからである。・・・人間は自己の行為及び衝動を意識しているが、自分を或物に衝動を感ずるように決定する諸原因は知らない・・・ 物の本性には、その起成原因の本性の必然性から生ずるもの以外の如何なるものも属しないし、又起成原因の本性の必然性から生ずるものはすべて必然的に生ずるからである。


定理六 或受働乃至感情の力は人間の爾余の働き乃至能力を凌駕することが出来、かくしてそうした感情は執拗に人間につきまとうことになる。
証明 各々の受働の力及び発展並びにそれの存在への固執は我々の能力と比較されたる外部の原因の力によって規定される。従ってその力は人間の能力を凌駕することが出来、云々。Q・E・D・


定理七 感情はそれと反対の且つそれよりも強力な感情によってでなくては抑制されることも除去されることも出来ない。
証明 感情とは、精神に関する限り、或概念ーー精神がそれによって自己の身体につき以前よりも大なる或は以前より小なる存在力を肯定するところの或概念である。


定理十八 喜びから生ずる欲望は、その他の事情が等しければ、悲しみから生ずる欲望よりも強力である。
証明 欲望は人間の本質そのものである。換言すればそれは人間が自己の有に固執しようと努める努力である。故に喜びから生ずる欲望は喜びの感情自身によって促進され或は増大される。しかしこれに反して悲しみから生ずる欲望は悲しみの感情自身によって減少され或は阻害される。


定理十九 各人はその善或は悪と判断するものを自己の本性の法則に従って必然的に欲求し或は忌避する。
証明 善及び悪の認識は我々に意識された限りに於ての喜び或は悲しみの感情そのものである。従って各人はその善と判断するものを必然的に欲求し、反対に悪と判断するものを必然的に忌避する。然るにこの衝動は人間の本質乃至本性そのものにほかならない。故に各人はその善或は悪と判断するものを自己の本性の法則のみに従って必然的に云々。Q・E・D・
スピノザ『エチカ』畠中尚志訳より)